ネクストビジョン ありまです。
5月の連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
YouTubeで私は中国の歴史を勉強しなおしました。
私が視聴したのは大学受験向けの世界史の一部としての中国史でしたが、それがなかなか面白く、受験生っていいなあ。と。
そこで今回はその中で思うことがありましたのでご紹介したいとおもいます。
ざっくり、まずは中国史のおさらいから。
先史時代→夏→殷→周→春秋戦国時代→秦→漢→三国時代→晋→五胡十六国時代→南北朝時代→隋→唐→五代十国時代→宋→元→明→清→中華民国時代→近代中国
最初の王朝といわれる夏が紀元前2070年とのことですから、今日まで4093年ものの歴史があるという。
日本の邪馬台国で卑弥呼が活躍したというのが200年頃というからなんともスケールがちがいますね。
で、その歴史はというと、連続と多様性のある長い歴史である一方で、荒廃激しく、力による戦いのによる皇帝の擁立と騙し討ちや裏切りの血なまぐさい蛮行の繰り返しの歴史でした。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ・・・」
どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理・・・まさにこれを地でやってきたのが中国の歴史であったように思います。
古代から力と力、力づくで統治権を奪い合う。だから王国があっても他国から侵略されさらにすきを見せると侵略される。統治できても内部で裏切るものが現れる。
混沌とした時代が何度も繰り返されてきました。
そんなかでも統治システムには試行錯誤がみられました。
周(紀元前1046年~256年)の時代には「封建制」を採用しました。封建制というのは一族・諸侯に領地を与えてそこの統治をまかせる制度のことです。そのかわり、王への忠誠を誓わせ何かあったら助けることを誓わせる。日本の歴史も幕府と藩との関係が封建制ですね。
でも王の勢力が衰えると、各地の諸侯はやがて自らが王を名乗るようになり封建制は崩れていきました。
秦の始皇帝の時代(紀元前221年~207)には「律令制」を確立させて「郡県制」というものを採用しました。郡県制とは全国を郡・県にわけ、それぞれに皇帝が任命する役人を派遣して、そこを治めさせる制度です。
つまり強い「中央集権」を重視した政策です。法の力とあわせて中央からの命令を絶対としたのですね。
でも、それでもうまくはいかなかった・・・
厳しい法の支配と、中央からの無理難題の要求は地方の農民の反発を招くことになったのです。
漢(紀元前206年~西暦220年)の時代には「郡国制」が採用されました。
郡国制というのは、政権に近く納めやすい地域は「郡県制」、地方は一族や諸侯に任せる「封建制」で治める制度のことです。
つまり、ハイブリットでおさめようとしたんですね。※ここ試験にでるやつです(笑)
それでも悪い奴らがでてきて呉楚七国の乱というのが起こります。結果、悪い奴らを抑えるためにまた郡県制による中央集権体制に戻してしまいました。
これによりまた法による厳しい支配から、貧しい農民の反乱がおこる。というのを何度も繰り返していきます。
宋(960年~1297年)の時代になると、「文治主義」がはじまります。
これまで武力で統治してきたそのやりかたを「武断政治」というのですが、力による支配はいずれ力により滅ぼされてしまう。なのでこれからは知恵と交渉力で平和に国を統治し外交を解決すべきだと考えるようになるのですね。
中国歴史史上はじめての平和国家の誕生です。
なので、武力は最低限しか持たない。他国から攻められたらお金で解決という。まるでどこっかの国の某野党の考え方みたいですが・・・。
ところが結局これもうまくいかなかったんですよね。
なにしろ他国の交渉のためにも国の統治のためにも優秀な人材を科挙で集めなければいけません。
ですが優秀な人事は人件費が高くつく。
しかも、諸外国から攻められたらお金を渡す。こんなことをしょっちゅうやってたら財政はもたない。
なので増税せざるを得ない。
よって民の反発。。そのすきに異民族が侵入となって国は滅びたのです。。
封建制もだめ、中央政権もだめ、ハイブリットでもうまくいかず、法による縛りもだめ、平和国家でもだめ。。。
そこで気づくのです。うまくいかないのは、人が人として生きていないから。
下剋上や裏切り、騙し討ち、こうした血みどろがつづくのは、人が人としてなんたるものかを理解できていないから。
つまり「人としてやっちゃぁイカンこと」ちゅうものが分かっとらんわけですよ。
こうしてモンゴル政権である元が滅んだ次の政権である明(1368年~1644年)では、儒教をバージョンアップさせた「朱子学」が広められました。
朱子学は儒学を元にして、人が人たる基本的な考え方を諭すものです。
仁・・・人を愛するということ
義・・・正しい行いをするということ
礼・・・上下や身分の違いをわきまえるということ
智・・・知恵をつかうということ
信・・・信頼や信用を与えるということ
孝・・・家族を敬うこと
忠・・・先輩上司を敬うこと
佛・・・ご先祖を敬うこと
儒教は紀元前552年に生まれたとされる孔子による哲学です。
これは唐の時代から宦官になるための科挙という採用試験で儒教が科目となっていました。しかし、一部のエリートの学問であり国民全体に広められたものではありませんでした。
明王朝時代には朱子学と名を変え国民に浸透させていたのです。朱子学を徹底的に浸透させることで、明王朝は約300年続き万里の長城を再建するほどの国力を付けました。そのあとを継いだ清(1644年~1912年)王朝も約300年と、安定した国家安定期が続いたのです。
ちなみに、1368年に明王朝を建てたのは「朱元章」という人ですね。朱先生となにか親戚関係あったのでしょうか(笑)
この朱子学は日本にもわたってきて武士道として大きな影響をうけました。
そして徳川家康は封建制と律令制と併せ、武士たちにこの朱子学を必須として勉強するよう武家諸法度に定めました。そして約300年も平和が続くのです。
人としての当たり前の考え方である「道徳」。武力や法でもなく道徳によって国を治めることができた、というのが中国の歴史です。
※しかし昨今の近代中国は逆を行っているようにしか見えませんが。。。
そして、これは中小企業の経営においても同じことが言えると考えています。
- 力で押さえつけたって社員は反発するだけ。
- 就業規則で縛り付けようったってうまくいくとは限らない。
- お金で動かそうとしてももっといい条件があればそっちに逃げちゃう。
やはり最後に残るのは人間性なんですよね。
- 経営者はトップとして誰よりも自らの人間性を高める努力をすること。
- 社員の人間教育に力を入れること。
- 社員全員が人として正しい行いをすること
こういうことが大事ではないでしょうか。
お客様は人間性のよい社員の会社と付き合ってくれるものです。
規模でも財力でも技術力でもなく、結局最後は人間性の高い会社こそが生き残ることができるのです。
治世にも経営にも正解はありませんが、過去に学び襟を正し、社員の皆さんが明るく、笑顔に輝く会社づくりにまい進したいと考えているところです。
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