ネクストビジョン ありまです。
いやぁ、先日の「青天を衝け」なかなか面白かったです。いよいよ来週は最終回。(※筆者執筆時点)どんな終わり方で最終回を迎えるのでしょうか。
さて来年2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。
舞台は鎌倉時代、主人公は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」だそうです。
小栗旬の主演で監督は三谷幸喜。なかなか見ごたえがありそうな予感ですね。
さて、この北条義時、あまり知名度は高くないかと思います。
「だれやぁそれ??」という方のために、ざっくり解説しちゃいます。
北条時政の子で北条政子の弟。源頼朝に従い平氏と戦う。源実朝が鎌倉幕府第3代将軍に就くと、父 時政と協力して幕府の政務を行っていたが対立し、姉 政子と協力して時政を追放、自らが執権となる。別当(侍所の長官)の和田義盛を滅ぼしそのあとをつぐ。こうして執権と別当の2つの役職を受けもち北条氏の幕府での地位を固める。その後、承久の乱で後鳥羽上皇をやぶり、執権政治による支配を固めた。鎌倉幕府 第2代執権。
そこで今回は後鳥羽上皇と対決した「承久の乱」を取り上げたいと思います。
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。
~https://ja.wikipedia.org~より
なぜ承久の乱がおきたのか
源頼朝が作った鎌倉幕府。朝廷は征夷大将軍の官職を与え幕府を置くことを認めただけのつもりでした。ところが頼朝は全国つつ浦々を自分たち鎌倉の武士で支配し管理しようと考えていました。そこで、全国に守護・地頭を置くのですが、貴族や皇族が持つ荘園にも地頭を置いていきました。派遣された地頭の中には勝手に年貢をとって自分のものにしたり、土地を奪ったり、農民を自分の支配下におこうとする輩もあらわれました。つまり、貴族や皇族にとって鎌倉幕府は厄介な地頭を派遣するけしからん存在になっていくわけですね。
トップダウン型の上皇
後鳥羽上皇は非常に優秀な人物でした。楽器もできて、双六とかのゲームも強く、武芸にもはげみ、和歌を作ることにも優れていました。皇族としては珍しく大変有能な上皇です。当時の上皇は院政といって天皇より上に立って政治をしていました。天皇を頂点とする朝廷よりも上皇である院に力があったために荘園の多くが院に寄進されていました。ところが幕府が地頭を配置すると荘園から年貢が入ってこなくなったのです。
上皇は優れた人でもありましたがそれだけにワンマン。「日本で一番偉いのは俺だ。なのに鎌倉(幕府)はなんだ。北条氏はなんだ!」と思うのは当然でした。
そんな中、頼朝が亡くなり跡を継いだ頼家と実朝も暗殺されて、鎌倉三代将軍が世を去ります。上皇はそのうち幕府内部でゴタゴタが起こると予想。そこで北条のライバルの三浦氏に「北条氏にかわって関東を治めろ!」と命令。三浦氏が「ははー」と北条氏をやっつけてくれると信じていました。それに「ひとたびこの俺さまが宣旨(せんじ=命令)を出せば,日本中の武士が集まって北条を成敗してくれるに違いない」そう思い込んでいました。ところが、、、想定していた勢力が味方に付かず、鎌倉に有利な状況になってしまいます。。
有能でワンマンなリーダ。。それが仇となり、冷静に情勢を判断して上皇に意見を言える人や,暴走する上皇を諌める人がいなかったのです。。。
情に訴えた北条政子
一方、鎌倉では上皇が鎌倉に攻めてくると聞いて動揺していました。その混乱の状況の中で、北条政子が鎌倉の御所に集まった御家人達(将軍と主従関係をむすんだ武士)の前で大演説をします。
フリー素材「イラストAC」より
「みなさん、心を一つにして聞いてください。これは私の最後の言葉です。頼朝様が朝敵(木曽義仲や平氏のこと)をほろぼし関東に武士の政権を創ってから後、あなた方の官位は上がり収入もずいぶん増えました。平家に仕えていた時には裸足で京まで行っていたあなたたちでしたが、京都へ行って無理に働かされることもなく、幸福な生活をおくれるようになりました。それもこれもすべては頼朝様のお陰です。そしてその恩は山よりも高く海よりも深いのです。しかし、今その恩を忘れて天皇や上皇をだまし、私達を滅ぼそうとしている者があらわれました。名を惜しむ者は藤原秀康(ふじわらひでやす)・三浦胤義(みうらたねよし)(二人とも朝廷側についた有力武士)らを討ち取り、三代将軍の恩に報(むく)いてほしい。もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら、まずこの私を殺し、鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい」~『吾妻鏡』より~
政子の言葉を聞いた御家人達は、一致団結して戦うことを誓います。なかにはこの言葉を聞いて涙を流し、京都へのぼり朝廷の軍と戦う決意をしたといいます。
平静を取り戻した東国武士達でしたが、当初、鎌倉を出発し、東海道から西に向かったのは、18騎にすぎなかったと言われています。京を目指すうち、勢力はみるみる拡大。最終的には約19万まで膨れ上がりました。
ひとたび宣旨が下されれば日本中の武士たちが上皇に味方すると思っていた上皇の期待とは裏腹に、まったく逆の結果に動いていきました。
緒戦において大群となった幕府方がことごとく勝利し、わずか1日で決着。宇治川での最終決戦。川を渡って防衛線を突破。京になだれ込み一気に勝負を決めたのです。
人を動かす
首謀者である後鳥羽上皇は隠岐へと流され、鎌倉幕府の勝利で幕を閉じた承久の乱。その勝敗の分かれ目はどこにあったのでしょうか。
私は、この戦いは「トップダウン」の後鳥羽上皇と、「情」で訴えた北条政子との戦いであったと考えています。
『人は力や立場で動くとは限らない。人は気持ちで動くもの』
これは私の持論ですが、D.カーネギーの著所「人を動かす」にも「相手の立場に身を置き、相手に好かれることで人を動かすことができる」とあります。
後鳥羽上皇はとても優秀な人物でした。ところが優秀だからこそ生まれるプライドやおごりと合わせて天皇を超えた上皇という立場が逆に作用したと思います。ワンマンで上位下達。私は偉い立場なのだからトップダウンで「命令さえすれば人は意のままに動く」という大きな勘違いをしていたのです。
一方で北条政子(戦ったのは北条義時)は、東国の武士たちの協力を得ることが何よりも大切ということが分かっていました。そしてその協力は相手がどういう気持ちで感じるか次第です。だからこそ自分の言葉で心からの思いを伝えようとしたのです。
勝敗はそのトップのスタンスによって最初から決まっていました。
中小企業の社長にも同じことがいえると思います。たまにおみかけしますね、後鳥羽上皇型のトップダウン社長。社員を力や立場で動かそうとしたところで、社員は動くとは限りません。今の時代、嫌なことを強いても辞めちゃうだけだし、強引に続ければメンタル疾患になったりハラスメント問題に発展しちゃうかもです。
人は気持ちで動くものです。
リーダとは、なによりも自分の言葉で自分の思いを伝えなければなりません。そもそも相手のためを考える「気持ち」がなければ、人は動かないものですね。
さあ、大河ドラマではどのような承久の乱となるのか。楽しみです。
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