マイクロソフト神話

ネクストビジョン ありまです。
現在ではWindowsはだれもが使っていますが、「Windows」とは
パソコン用のOS(オペレーティングシステム)のことです。基本ソフトともいいますね。

私が学生のころ(約20年前)PC用OSといえば、デジタルリサーチのCP/Mが主流でした。
当時、私はプログラマをしていて(アルバイトでしたが・・・)、この「CP/M」上でBASICやCを使って、
プログラムを書いていたものですから懐かしいものです。
その後登場するMS-DOSより遥かに使い易かった…。

今回は現在誰もがお世話になっているMicrosoftの歴史のお話です。

シアトル本社前にて

Microsoftの転機となるのが1981年、米IBM社のPC市場への参入です。
そもそもIBMとは、いわゆる大型コンピュータ(汎用コンピュータとも)市場ではダントツの首位でした。

日本でも富士通やNEC、日立などが台頭していましたが、
世界の巨人IBMにはとてもかなうものではありません。
人はIBMのことを「ガリバー」と呼び、大型コンピュータが据えてある
コンピュータルームのことを「IBM室」と呼んでいました。
それぐらいIBMはコンピュータ産業の中心的な存在だったのです。

ところが、PC市場だけは様子が違っていました。

IBMは当時ベンチャー企業の米アップル社の「AppleⅡ」の大ヒットに危機感を覚え、
大型コンピュータとは一線異なるパーソナルコンピュータ(PC)の開発に乗り出しました。
開発期間を短縮するため、必要なソフトウェアは全て外部から調達する方針をとりました。

そこで、「BASIC」のインタプリタ実行環境の開発に定評のあった
当時まだ10名程度の小さな会社だったMicrosoftにPC用OSの開発を依頼しようとしたのです。
(当時のIBM担当者はBASIC環境とPC用OSの違いもよくわかってなかったらしい)

ところが本当は当時のMicrosoftには「BASIC」というインタプリタ言語環境はあったものの
自前のOSといえる技術もソフトも持っていなかったのです!
しかも、新たに一から開発する余力も実力すらなかったのです!!

そこでビルゲイツは「CP/M」で定評の高いデジタルリサーチの社長のキルドール氏を紹介しました。

IBMはCP/Mを提供してもらう交渉を始めることになったのですが、交渉の段階でつまずくことに・・・
なんと、キルドール氏が自家用飛行機遊びに夢中になっていてIBMとの契約日のアポを
すっぽかしてしまったのです。
(諸説あるがこれが有力 ビルゲイツの本にも書いてある)

デジタルリサーチとの交渉をあきらめたIBMは再びMicrosoftに開発を依頼してきました。
ビルゲイツはこれを千載一遇のチャンスと考えて、シアトルの近郊にある小さな会社の
SCP社が開発していたOS「QDOS」(86-DOSともいう)の権利を2万ドルで購入しました。
さらにそのSCP社の開発者に依頼して「PC-DOS」として改造。これをIBMに供給したのです。

なんと、この歴史をかえる偉大なソフトウェアはその大部分をMicrosoftが作ったわけではなかったのです!!

IBMのIBM-PCとかPC/ATとか名づけられたこのコンピュータの名称は
PCという現在の一般名詞になるほどIBMのPCは世界中で売れました。
それと同時にMicrosoft社がつくった(ことになっている)PC-DOSは
PC用OSのデファクトスタンダードとなるわけです。

そのうちIBM互換機なるアンダーグランドなマシンが登場してきます。
Microsoftは著作権までは手放さず、ソフトの使用許諾権を与える契約でしたから
「PC-DOS」は「MS-DOS」として、Microsoft直で売り出したことで
IBM互換機にもつかえるようになり、この分野での絶対的な地位を確立したといえます。
こうして「MS-DOS」は瞬く間に世界市場の90%以上を独占するのです。

ここまでの出来事はたったの3年間の出来事でした。

そしてさらに躍進は続きます。
1984年にAppleが「Macintosh」を発売すると、
これまで得た莫大な資金を使ってMacOSに対抗すべく「Windows」を開発。
日本にはVersion2から来日。私も試しに使ってみました。
(当時だれも相手にしてくれませんでしたが…) 

その後「Windows3.1」あたりから注目されるようになり
1995年の「95」でフィーバし、「98」「Me」「2000」「Xp」「Vista」
そして「Windows7」と、PCOS市場の王者を続けてきたのです。
・・・

あれから四半世紀。  
キルドール氏がIBMとの約束の日にきちんと出席していたら・・・
シアトルのSCP社が「QDOS」の権利を売らなかったら・・・
IBMに「PC-DOS」の全ての著作権を渡していたら・・・

もしかしたら今のパソコン市場は全く違うものになっていたかも・・・。
今のMicrosoftは存在しなかったかもしれないですね。

人は「運のいいやつだ」とか「実力ではない」とか色々なことを言います。
しかし私は、極めて高い技術力がなくても最低限必要な技術力で
成功できたMicrosoftの存在が、我々に希望と勇気を与えてくれるものと考えます。

そして私は、あの日千載一遇のチャンスと考えて行動したビルゲイツを高く評価したい。
彼が起こした行動は偶然なのではなく、自らが運を呼び込みそれを活かす活動をしていたのです。

私たちの目の前には将来Microsoftのようになれるかもしれない可能性があります。

伝説のきっかけは将来まだまだたくさんあるでしょう。
今はまだそのきっかけがはじまったばかりの段階かもしれません。

自らの「運」を自ら呼び込みそれを活かす活動をこれからも続けていきたいものです。

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この記事を書いた人

有馬 猛夫(ありま たけお)
ネクストビジョングループ 代表 IT系の専門学校で11年間教壇に立った経験を生かし、1999年ネクストビジョン設立。広島発ITベンチャー企業として製品開発・サービスの提供を行う。2006年広島市企業診断優良企業賞受賞。2008年マイクロソフト社と広島市によるITベンチャー支援企業として中国地方で初の選定企業となる。
・株式会社ネクストビジョン 代表取締役社長
・株式会社マイクロギア 代表取締役会長
・アナリックス株式会社 代表取締役会長
・一般社団法人ヘルスケアマネジメント協会 理事

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