ネクストビジョン ありまです。
前回のブログで、平清盛は「坂本龍馬」に似ていると述べました。もう一人似ているなぁと思う歴史上の人物、それは「織田信長」です。
『平家物語』によれば、平清盛は十四五までの少年期は出仕もせず、京の町などで自由奔放に遊びまわっていたとか。これを他の若者達は“高平太(高足駄をはいた平家の長男という意味)”と馬鹿にされていたらしいのです。これは平家物語としての脚色かもしれませんが、信長が少年期“尾張の大うつけ”と呼ばれて蔑まれていたこととよく似ていますね。
清盛はその後、保元、平治の乱などの戦乱での働きを通じて異例の出世を進めていきます。そして後白河法皇(上皇)にも実力を認められ全盛期を迎えるのですが、途中から関係が悪化。ついには後白河法皇と敵対してしまい、西に東に平家包囲網が作られてしまいます。
信長も、戦乱によって領土を拡大しその地位を固めていきました。そして足利義昭を第15代将軍に擁立しその威光を利用して活動するのですが、足利義昭将軍の離反、そして信長包囲網を招いてしまいました。
清盛は奈良の寺院勢力と激しく対立し、興福寺や東大寺・大仏の焼き討ちをしています。信長も武装した寺院勢力と激しく対立し、延暦寺を焼き討ちしました。二人とも後世にわたって「仏敵」の汚名を着せられている点も共通しているんですね。
清盛は、内外に向けて政権の威厳を示すため、厳島神社の社殿を造営します。海を敷地とした寝殿造りの粋を極めた実に美しい日本屈指の名社です。信長の建てた安土城も天皇の行幸を目的に建設したといわれています。大型の天守を初めて持ち、始めての瓦屋根の採用、総石垣の本格的な城だったとか。その後の日本の城郭造りの手本とされるのです。
自らの政権の威厳を示す建設物。そしてその大胆で独創的な発想をもち、それを実現したことも共通した功績といえますね。
こうしみてみると実に共通点の多い清盛と信長なのですが、その両者の人物としての共通点を整理してみると、
・旧勢力を打破し、新たな価値観をもたらしたこと
・人並みはずれた先見性をもっている
・人を引き付ける強力なカリスマがある
・海外に目を向け、広く物事を捉える着眼点がある
・優れた経済感覚がある
ことだと思います。これらはいつの時代でも理想的なリーダに必要な要素ですよね。現在の政治家や経営者には持ち合わせてもらいたいことじゃないでしょうか。
『平家物語』等の書物やドラマなどでは、源氏側を善玉として描いているため、常に悪玉として描かれることが多い清盛ですが、新しい時代を引き開いたヒーローとしての視点で見てみると信長や坂本龍馬のように見えてきておもしろいものですね。
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