ネクストビジョン ありまです。
戦国武将の中でも1位2位の人気を争う戦国のヒーロー真田幸村。
それを主人公とするNHKの『真田丸』ですが、イマイチ視聴率は伸び悩んでいるようです。
ドラマはいよいよクライマックスを迎えようとしているのですが・・・。
さて歴史好きの私ですが、本ブログで真田幸村を語らないわけにはまいりません。
ところで、東京大学にある史料編纂所というところに「日本古文書ユニオンカタログ」というデータベースがあるそうで、人物名を入力して検索ボタンを押すとそれに関する古文書が全て検出される仕組みがあるのだとか。
これで「徳川家康」を検索すると3186件がヒット。さすがの大権現様です。
ところが「真田幸村」は・・・0件、なーんとヒットしないのです。
これはどういうことでしょう。
歴史に詳しい人はご存じかもしれませんが、実は「真田幸村」という人物は存在しないのです!
本当は「真田信繁(のぶしげ)」。「幸村」という名前は、江戸時代になってできた小説上の名前なのです。
「真田幸村」という武将は、大阪冬の陣、夏の陣の活躍こそ有名なものの、歴史的な人物としては何をなした人なのか皆目判らないのです。彼が有名になったのは実は小説の世界での話だったのですね。
江戸時代といえば徳川の時代。徳川幕府への反骨精神なのか、幸村が「タヌキおやじ」家康をやっつけると、庶民はやんやの喝采を送ったのです。
ただし徳川を悪役なんて天下のご法度。なので「信繁」を「幸村」と名を変えてフィクションということにしたのですね。
近年でも経営者の半生を史実として出版する場合に、あえて実際の名前と変えて「小説」として発行することがあります。真実はひとつではなくて立場の違いやとらえ方で違うものになっていることが多い。事実でも内容によっては誰かを傷つけることになる場合もある。あえてフィクションであることにすることでそのトラブルから避けているのですね。
「真田幸村」という人物はそのような背景で生まれたフィクションのヒーローだったのですね。
ところが、先ほどのデータベースで本名である「真田信繁」で検索してみるとなんと7件しかヒットしません。
実在の「真田信繁」という人物も、データの非常に少ない実に謎の多い武将だということがわかります。
真田という家はもともと信濃の山間の土豪でした。確固たる地盤を保っていなかったようです。やがて武田信玄に仕え、武田家滅亡の後は主を転々と変えながら独立を果たしました。関ケ原の戦いの際には父の昌幸は西軍に、子の信幸(信繁の兄)は東軍について家を残す手立てを講じ、結果、信濃上田藩10万石の大名として生き残ることができました。
それまでの流浪の生きざまをみると戦国時代の抜群の成功者といえる結果ではないかと思います。
主君武田が滅んでもしぶとく生き抜き、徳川の信頼を勝ち取ることができたのですから。
真田家は十二分に成りあがることができた。その上で「いらない息子(次男)」の幸村(信繁)が天下人・家康に果敢に挑戦する・・・。
ここからがフィクションなのでどこまで史実かどうかはともかく・・「判官びいき」のわれら日本人は幸村(信繁)の活躍にスカッとして涙する。という次第なのです。
なーんだ、ただのウソ話かぁ。と感じた人もいるかもしれませんが、小説の主人公、真田幸村の活躍は、当時の日本人に「歴史にロマンを感じさせる」という素晴らしい成果を残してくれました。
猿飛佐助や霧隠才蔵など、「真田十勇士」と呼ばれるヒーロまで登場して、空想の世界でも幸村の部下が大活躍。真田シリーズものは江戸時代のエンターテイメントとしては空前の大ヒット。この上ない娯楽であったのです。
と、同時に、ああもしかしたらこのような活躍をしたお殿様がいたのか。ああ、あのようなリーダになりたい、あのようなリーダの元で働きたい!と人々は思ったに違いありません。
もしかしたら、当時の「理想の上司」ナンバーワンだのかもしれません。(笑)
さらに、もしかしたらですが、小説とはいえ、徳川をヒール役とした主人公の活躍は、幕末の討幕思想というイデオロギーを生むきっかけになったのかもしれません。多くの子どもたちは江戸時代中期の軍記物や絵本などで親しんでいたということですから、、、
つまり単なる小説と馬鹿にできないぐらい「真田幸村」とは、今の日本の構築に至る大きな影響を与えた人物だったのかもしれないのです。
ちなみに、大阪夏の陣で、部隊の装備を赤で揃えた「真田赤備え」隊を編成。家康がいる本陣への突撃し、徳川家康に、自ら死を覚悟したほどの活躍をしたといいます。(これは本当の話)
徳川家康に、自ら死を覚悟させた活躍とはいかほどのものであったのでしょうか。
とても想像が掻き立てられますね。
大河ドラマ『真田丸』でのシーンが楽しみです。
どうか『真田丸』で大河ドラマが復活してほしいものです。
頑張れNHK!
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