ネクストビジョン ありまです。
先日、私が副会長を仰せつかっている、一般社団法人全国地域情報産業団体連合会(ANIA)の設立30周年記念式典および、第39回全情連全国大会 「ANIA長崎大会」に参加してきました。
全国から、行政、金融、IT関連団体、長崎県、長崎市、各県のANIA会員企業代表など、約300名が出席されました。
その模様については、NBC長崎放送で放映され、翌日の長崎新聞で紹介されたそうです。折角なのでこちらでもご紹介します。
さてその折の基調講演は、あのジャパネットたかた創業者の髙田 明 氏と、長崎総合科学大学教授のブライアン・バークガフニ氏によるもので、どちらもとても勉強になり楽しい内容でした。
高田社長の講演はすでに何度か聞いてきて内容もほぼ同じようなものだったので、ブログでのご紹介は割愛しますが、ブライアン・バークガフニ氏についてはとても長崎を深く知ることのできる興味深い内容ででしたので今回ご紹介したいとおもいます。
演題は「長崎の『和華蘭』文化に学ぶ」でした。
和華蘭(わからん)とは、なかなかユニークなタイトルですが、
和・・・日本
華・・・中国
蘭・・・オランダ(西洋)
中世の日本ではオランダ=欧米諸国全体を現した言い方でした。
つまり、和・中華・西洋の3文化が入り混じった文化、それが長崎の文化であるわけです。
その具体的な例としてカステラがあげられます。
この写真は日本で最初のカステラ屋(寛永元年:1624年創業)の「福砂屋」さんのカステラです。
コウモリのマークがついています。このお店では商標、お菓子の包装のマークにコウモリを使っているのです。
西洋ではコウモリといえば、吸血鬼やバットマン、墓場や悪魔、死のイメージが強く、食べ物にそんな不吉なマークを付けるなんて西洋人からみれば縁起でもないこと。
ところが、そもそも中国語では「蝙蝠」 (biānfú) の音が「福が偏り来る」を意味する「偏福」 (piānfú) に通じるため、幸運の象徴とされ幸福を招く縁起物とされているのです。
写真は、長崎の観光地の一つである唐寺の崇福寺。山門の入り口などコウモリのデザインが見られます。
西洋からのカステラというお菓子と、中国からの縁起の良いとされるコウモリ、この二つが長崎に来て融合されて、福砂屋さんのカステラになったというわけです。
福砂屋さんのカステラはまさに長崎「和華蘭」文化の象徴といえるのではないでしょうか。
また、長崎の郷土料理には「卓袱(しっぽく)料理」というのがあります。
高級料理の一種ですが、これにも「和華蘭」文化を伺い知ることができます。
卓袱(しっぽく)料理とは、長崎に伝わった南蛮料理や中国料理にアレンジが加えられて日本料理化され、長崎独自の料理に変化したものです。
料理の中身は古来の和食を中心として中国料理や西欧料理が日本化したものが多くみられます。
鶏肉・もやし・シイタケなどをトーストで包んでオーブンで焼いた「中鉢(ハトシ)」という料理は西洋的だったし、シュウマイや春雨のようなものも混じっていて中華っぽいものもありました。
また、中国料理同様に、円卓を囲み、大皿に盛られた料理を各々が自由に取り分け食べるのが卓袱料理の基本形となっています。
古くからの日本料理であれば、上手下手と序列により座る場所がきまっていますが、円卓ではそういう決まりはありません。
長崎は古くからの貿易の街。商売には上も下もなく、互いの利益を公平に商談するためには円卓のほうが都合がよかったようですね。
それから長崎といえば「出島」。
江戸時代から置かれ、西洋人はこの小さな区域に閉じ込められました。
実際に復元した出島に見に行ってみたが、幅・約70メートル、長さ190メートル,広さ3969坪という小学校の校庭程度の狭い場所で、ここに多くは1000人を超える西洋人が生活をしたというから驚きです。
他の地域であれば暴動など起きてもおかしくはなかったでしょう。ところが長崎では外国人による暴動や事件など発生していないのです。
これはなぜか?なぜならそれ以上に商売による大きな利益があったからだと考えられます。さらに、日本の対応が紳士的で誠実的な配慮もなされていたことが考えられるのです。
そう考えると、日本という国はつねに排他的ではなく開国的な精神をもっていたのだなと思います。
他の文化を排除することなく寛容に受け入れ、それを日本的に新しいものに変えていく。そしてその対応は常に紳士的で誠実な態度。そういう姿勢が貿易相手国にも好感をもたれていたようです。
イノベーションとは新結合ともいいます。今そこにある何かと何かを結合させて新しい価値をつくることがイノベーションです。
私たちはこれからもイノベーションを起こし続けていかなければなりません。
常に紳士的で誠実な態度で、他の文化や既存の技術を寛容に受け入れ、それらを組み合わ、全く新しいモノに変えていく。
そういう姿勢でイノベーションを生み出すことが大切です。
長崎ではそういうことを鎖国時代からやってきていたのですね。
ところで、歴史好きの私としては長崎に行けばここに行かないではいられません。
そう。
坂本龍馬の史跡です。やっぱり亀山社中と風頭講演に立つ坂本龍馬像です。
江戸時代幕末の時代に、中国の文化とヨーロッパの様々な文化や科学や知識にふれることのできるここ長崎に訪れた若者たちは、ものすごい刺激をうけたことでしょう。
日本をどうにかせにゃならん!
そう強く意識を持ったに違いないのです。
長崎亀山に亀山社中を立ち上げたのも、単にトーマス・グラバーという商売相手がいたからだけでなく、様々な刺激を受けることができる場所が長崎だったからに違いないと思います。
きっと志士たちは興奮し、ワクワクしたことでしょう。
そんなかつての長崎のような若い人をやる気にさせる刺激的な街が、現在の日本のあっちこっちにできてほしい。
そんなことを感じた長崎でのANIA全国大会でした。
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