ネクストビジョン ありまです。
6/14の「織田信長の本当の姿とは?」が好評でしたので、
今回も引き続き信長ネタで。
桶狭間の戦いといえば、信長の出世のきっかけともなった歴史上有名な戦いですね。
「2万5千といわれる大軍を引き連れて尾張に侵攻した駿河の戦国大名・今川義元に対し、
尾張の大名・織田信長が10分の1程とも言われる軍勢で本陣を強襲し、
今川義元を討ち取って今川軍を潰走させた歴史上最も華々しい逆転劇と言われた
非常に有名な戦いである。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ところで、桶狭間の戦いで、信長は勝ったのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
だれもが「勝った」と答えるでしょうね。
ですが私は、「勝った」というのは後世の人が決めたことで、
当時の信長にとっては「勝った」とはとても考えていなかったのじゃないかと思うのです。
戦いの模様は諸説あるようですが、いずれにしても、総勢2,000人程度の兵力で
25,000ものの大軍の大将、今川義元を打ち取ったのは事実のようです。
地理的な問題で、今川軍は蛇列状になっていた【状況条件】と、
大将の居場所を正確に知ることのできた【情報伝達】の良さ、
どう考えても”負け”なのに領民・兵士たちの強い【協力】を得ることができ、
タイミングよく激しい雷雨があったために音が打ち消されたという【天候】に恵まれた。
実力もさるながらかなり【運が良かった】と思います。
もともと信長がそうなることを予想して闘っていたのか?
幸若舞『敦盛』を舞っていたときに計画し、その計画どおりの実行だったのか!?
私にはそうは思えないのです。
本人もびっくりするぐらい【想定外】だったはずです。
今川義元を打ち取った後の信長は「おそらく」かなりの恐怖に襲われていたと思います。
なぜなら、大将を打ち取ったとはいえ、2万弱の大軍の兵力は残っているのです。
織田側は体力も兵力も相当消耗しているはず。
武将の一人でも「おのれ!みなのもの、親方様のカタキをとるのじゃ!かかれぃ!」
とでも言って攻めてきたらひとたまりもなかったはず。
なのにもかかわらず、今川軍は退却しちゃうのです。
織田側兵士全員が1軍隊で固めていたために、
他の今川軍には、大きな軍隊がいくつもあるように錯覚してしまい、
これはわが軍は劣性していると勘違いしてしまったのが原因のようです。
またしても【想定外】の偶然が重なったわけです。
けれどもそれでも信長は眠れない夜を過ごしていたはずです。
全兵力を集めても4000人だった兵士がおそらく半分以下程度にはなっていたはず。
今川軍には2万弱の大軍の兵力があるのですから、
跡目を継いだ今川氏真が
「おのれ信長め~!父の墓前に信長の首をさらしてやるわ!者ども、父の弔い合戦じゃ。にっくき父のカタキを打ち取れい!」
とでも言っていって再び攻め入ってくれば、さすがの信長もひとたまりも無かったはず。
桶狭間ほどの運のいい戦いが何度も通用するとは言えないでしょう。
ランチェスターの法則通り、まともにやれば必ず大きい兵力の方が勝つのです。
戦わずして結果は見えているのです。
そんな状況で信長は、苦悩し続けてたのじゃないかな。
どうすることもできない。攻め込まれたらひとたまりもない。
ああ俺はどうすればいいんだー!って苦悩し眠れない日々を過ごしていたに違いないのです。
そんな状況で「おれは桶狭間で勝ったんだ。すごいだろう!」と言ってるはずがない。
そんなことより、今をどうするか。逃げようか、自害を覚悟するか。
もし攻めてこらえたら「こないだの桶狭間ではすんませんでしたぁ!」って土下座で謝ろうかとか(笑)
情けないこともいろいろ考えていたはず。
あまりの大きな脅威に不安で怯えていたに違いないのです。
ところが跡目を継いだ今川氏真は仇討をしなかった・・・
「よいよい。われは球ケリでもして楽しもう」などといって遊び呆けていたという話らしいのだけど・・・。
さらには、家臣たちが内部分裂して、その隙に松平元康(徳川家康)が岡崎で独立。
その後の徳川との同盟が結ばれることによって、
やっと東からの脅威が回避できたことになるのです。
またしてもまたしても【想定外】の偶然
なんとも運のいい信長。
でも本人からしては脅威が回避できても、「勝った」とはとても思えなかったはず。
おそらく当事者は目の前の状況に精一杯で、そんな桶狭間のときのことどころじゃなかったのじゃないでしょうか。
とにかく、今を生き残るために一生懸命に必至な日々を送っていたはず。
今の私も含めて中小企業の社長さんはそんなものでしょう。
今をどう生きるかがとても大切だったりします。
歴史では
「桶狭間の戦いに勝った信長が、それをきっかけとして躍進して天下布武を成し遂げようとした」
と伝えられています。
でも、その後世に教えられる状況とは、現実の状況とは程遠いこともあるのです。
本人の立場に立って考え、想像力をしっかり持って考えればわかることなのですが
部外者は勝手に「こうだった」と決めつけてしまうことがあります。
私たちの身の回りには結構こういうことが結構あるものです。
想像力をしっかり使って、当事者の気持ちになって判断したいものです。
本来、歴史で学ぶべきこととは、そういうことなのかもしれませんね。
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