ネクストビジョン ありまです。
コロナ禍と豪雨とあって折角の長期休暇になった今年の盆休暇はどこにも行けず、子の勉強のお手伝いとなりました。
我が娘は中3で今夏は高校受験で忙しくしています。社会の授業で宿題がでたそうで、珍しく私に尋ねてきました。
どれどれ、なんでも聞き給え。どんな問題だい?
「問 もし太平洋戦争を食い止めることができたとしたら日本はどうすればよかったか?具体的な局面と判断を述べよ。また当時の状況から戦争責任が重たい者を順番に5つ述べよ」
なんと。
こ、これが中学生の問題か!
歴史好きの私としては、世間一般よりは多少の自信はありましたが、少々戸惑いながら、私も今一度考えさせられたわけです。
まずは私の限られた知識の中で「なぜ戦争がおきたのか」を解説するのですが。。。
まずね、アメリカで世界恐慌がおきて、各国が大不況に陥って。植民地がない日本は経済を維持するために満州を支配するが、中国と緊張状態になって日中戦争がはじまっちゃて・・援蒋ルートを断つために仏印・ビルマを攻略する必要があって~それがアメリカ怒らせちゃって、ABCD包囲網で経済制裁受けちゃってぇ・・・そんでもって真珠湾に・・
そしたら娘が、
「近衛文麿って人がソーリ大臣で、和平交渉してたんでしょ」
「515で犬養さんが殺されたみたいになるぞって脅されてたんでしょ」
「マスコミも戦争しないと弱腰だって国民を煽ったのよね!」
なにゅ。えらいくわしいのぉ
ちょっとまって、教科書みせて!
ということで教科書をみせてもらったら、思いのほか予想以上に詳しくなった現在の中学校の社会(歴史)の教科書に驚愕なのです!
自分の時ってこんな詳しく習ったかしらん??
そこで昔大ベストセラーとなった『失敗の本質』という本を思い出しまして、、、、
前置きが長くなりましたが、今回は、太平洋戦争はなにが失敗だったのかまとめてみたいと思います。
娘の宿題のテーマは
「なぜ無謀な戦争を始めてしまったか?」でしたが、
今回お伝えしたいのは「なぜ日本は戦争に負けたのか?」の一点にコンセプトを絞りたいと思います。
ちなみに「なぜ日本は無謀な戦争を始めたのか?」という問いに関しては、2011年に放映されたNHKスペシャル『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』シリーズが、様々な立場や最新の研究を踏まえたものになっていますので、オススメ。
中学生にも見せたいところです。
「無謀な戦いだったのなら、負けるべくして負けたのだから『なぜ負けたのか』を問うても仕方なくない?」と思われるかもしれませんね。
ですが、
たとえば戦国時代、織田信長は、当時戦力的に圧倒的に上だった今川義元に「桶狭間の戦い」で勝利しました。
広島の毛利元就も「厳島合戦」で圧倒的に強かった陶晴賢に勝利。
三国志でも「赤壁の戦い」という弱者が強者に勝つという事例があります。
つまり「戦い」というのは必ずしも事前に有利な方が勝つわけではなくて。有効な戦略や組織力など条件が揃えば無謀とも思える戦いでも勝機が生まれてくることがあるのです。
プロ野球の名将として知られる故・野村克也氏の言葉に
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
とあります。
ノムさんが言いたかったのは、「なぜ負けたか」をしっかり考えることにこそ、明日の勝利の鍵があるということですね。
今回は太平洋戦争での日本軍の失敗をビジネス視線で下記にまとめてみました。
日本軍の5つの「失敗要因」
①作戦目的があいまい
たとえばミッドウェー作戦では、日本軍は「(ハワイ諸島の西にある)ミッドウェー島の攻略」「アメリカ艦隊の撃滅」の2つの目的を掲げました。しかし二兎を追った結果、どちらも目的を完遂できず敗北を喫します。一つの作戦でKPIを2つ追うことにより、常に移り変わる戦局のなかで適切な判断を行うことができなかったのです。
「作戦目的があいまい」なのは日本軍においてはしばしば見らえる傾向でした。それに対してアメリカ軍は作戦の目的がシンプルで明確化されていました。
ビジネスの世界でも、何のためのこの仕事なのか?明確化することが実績に大きく影響しますね。あれもこれもと漠然に命令するのではなく、明確にシンプルに目的を伝えることがとても大切なのです。
②情緒と空気の支配
無謀な作戦として特に有名な「インパール作戦」。上層部の多くが無謀であると知りつつ実行されました。
なぜそうなったのか。じつは指揮を執る牟田口廉也中将が「どうしてもやりたい」と主張し、「牟田口がどうしてもやりたいと言っているから」ということで決裁が下りたのです。
上層部は実現の可否よりも、陸軍内の人間関係・人情を優先してしまったわけです。
また、沖縄沖で戦艦大和が撃沈されたことも同じような理由です。
大和は沖縄戦に参戦すべく出撃したのですが、当時の沖縄近海はすでにアメリカが制空権を握っており、撃沈されることはわかっていたはずです。
しかし、それでも出撃が決定されたのは、大和出撃の是非を問う会議において参加者の誰もが「反対できる空気ではない」と感じていたからでした。
物事の良しあしよりも、人情や空気が決めてしまうことがあります。
最近でも「忖度」という善悪を超える力が働く事がありますよね。
会議ではそいういう「人情や空気・忖度」というものを一掃しなければよい判断ができるわけがありません。
③組織的な学習の軽視
日本は緒戦は勝利を続けましたが、1942年6月のミッドウェー作戦での大敗から、敗北を重ねていきます。
しかし一つ一つの敗北の失敗要因を分析し、その情報を組織全体に共有することを通じて次に活かす、ということはほとんど行われず、水に流してしまいました。
この「失敗を振り返らない」というのも、②の人情や空気を優先する風潮で起きていたとでしょう。上層部の誰かしらの作戦立案者の責任を問うた瞬間、人間関係にヒビが入ってしまうからですね。なので水に流しちゃう。
現場が知りえた貴重な体験や失敗経験を貴重な資産ととらえてカイゼンして次に活かすこと。それが本気でできる組織こそが勝てる組織に変わっていくのでしょうね。
④結果ではなくプロセス・動機への偏重
また日本軍は特に作戦立案をおこなう人材を評価する際、「勝ったか負けたか」の結果の評価よりも、「がんばったかどうか」というプロセス、「やる気が高かったかどうか」という動機を重視していました。
特に意思決定層に関して「結果で判断する」というフェアな人事を行わなかったことにより、責任の所在がどんどん曖昧になり、そのため情実人事が幅を利かせるようになっていったようです。
やる気が結果を作るのではなく、結果が評価に繋がる。評価されることでやる気が高まる。そういう評価にしてこそ成果が高まるのでしょう。
⑤作戦責任を厳しく追求しない
日本軍は、失敗した作戦の立案者の責任を、それほど厳しく問いませんでした。
一方、アメリカ軍は逆の方向性を取っています。たとえば初戦の真珠湾攻撃は日本の勝利に終わったわけですが、アメリカは当時の太平洋艦隊司令官キンメルの責任を問うてただちに更迭、代わりに若手で頭角を現しつつあったニミッツを大抜擢します。そのニミッツは、やがて太平洋戦線で目覚ましい戦果を挙げていくこととなるのです。
ビジネスでも同じことだと思います。
たとえ失敗したとしても実施した者の責任は一切追及してはいけません。計画をたてて指示した者が全ての責任を負うべきなのです。
指示された者は指示通りに動かなければ罰せられますが、指示通りなら何ら責任はないのです。
大切なのは、指示を与えた者がその結果責任を負う、その覚悟で作戦を考えるということです。
そういう組織が成果を上げていくのだと私は信じています。
太平洋戦争は日本の歴史上最も悲しい出来事で悲惨で最悪で最大の失敗です。
この巨大な失敗から学び、未来に活かしていこうではないですか。
私にできるのは、これをどうビジネス活動に活かし無駄にしないということだと思います。
私たちの親や祖父母世代たちの多くの犠牲を無駄にせず、次に活かすことが現在に生きて経済活動を営む我々の義務ではないでしょうか。
そんなことを考えた今年の終戦記念日でありました。
<参考>
失敗の本質―日本軍の組織論的研究
戸部良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
中央公論新社
コメント